Monday, January 11, 2010

津軽に吹く山背

やませ(山背)とは、春から秋に、オホーツク海気団より吹く冷たく湿った北東風または東風(こち)のこと。特に梅雨明け後に吹く冷気を言うことが多い。

やませは、北海道・東北地方・関東地方の太平洋側に吹き付け、海上と沿岸付近、海に面した平野に濃霧を発生させる。やませが長く吹くと冷害の原因となる。なお、オホーツク海気団と太平洋高気圧がせめぎあって発生する梅雨が遷延しても冷害となる。




藤田美幸(キンちゃん)津軽海峡横断泳の実績
2005年8月30日 津軽海峡1-way 11時間36分
2006年8月31日~9月04日
津軽海峡3-way 37時間24分
 11時間43分(青→北) + 2nd leg 15時間28分(北→青)+ 3rd leg 10時間13分(青→北)
2009年9月02日 津軽海峡縦横断1-way 16時間45分
(リタイヤ)

「東奥日報」(青森の新聞)より ― 2009年8月27日(木)― 津軽海峡、横断泳ラッシュ

 首都圏在住者の水泳グループ「海王(うみおう)」の男女7人が26日、中泊町・権現崎(小泊岬)から水泳リレーで約9時間かけて北海道・白神岬に到達し、津軽海峡横断に成功した。女性ながら過去4度も単独横断に成功している藤田美幸さん(43)=愛知県=も、27日から9月1日の間に再挑戦を予定。日本テレビの「24時間テレビ32『愛は地球を救う』」の遠泳チームも8月30日、横断に挑む。わずか1週間に3チーム・個人が海峡横断のために中泊町小泊地区に集結するという、“横断泳”ラッシュ現象が起きている。
 海峡横断に成功した「海王」メンバーは本間素子さん(34)、礒崎祐子さん(44)、桜井智和さん(33)、福島香織さん(35)、小板橋まみさん(32)、西郡美樹さん(29)、宮下聖さん(28)の7人で、秋田県在住の宮下さんを除いていずれも東京都と神奈川県在住の会社員。本間さんと西郡さんは英仏間のドーバー海峡、本間さん、桜井さん、福島さんは駿河湾横断の経験がある。
 津軽海峡横断には竜飛崎-白神岬や大間崎-汐首岬が距離的には有利だが、潮の流れが速く、横断泳には権現崎-白神岬が向いているという。7人は26日午前4時33分、権現崎をスタート。漁船の伴走を受けながら30~15分ずつ交代で泳ぎ、午後1時28分、8時間55分で白神岬に到着した。潮に流されたため、四十二、三キロを泳いだ計算になるという。
 リーダー格の本間さんは「初めは順調すぎるくらい。時間とともに潮目がどんどん変化していき、大変だったが、横断泳の楽しさも実感した」と笑顔で話していた。
 津軽海峡は今年、なぜか横断泳ラッシュ。ドーバー海峡を日本人として最多の6度横断しているベテラン藤田さんは、権現崎から北海道・恵山岬を目指し、海峡横断にとどまらず、日本海から太平洋へ約120キロの“縦横断泳”を計画している。また「24時間テレビ」チームは盲目の高校生スイマー立木早絵さんを中心に五輪金メダリストの鈴木大地さんが監督、歌手・錦野旦さんがキャプテンを務め、中泊町・小泊マリンパークから北海道福島町まで、昨年、途中で断念した海峡横断に再挑戦する。
キンちゃんが行く(津軽編)
 多分、この函館市浜町(旧:戸井)を訪れて5年の月日が流れたと思う。まあ毎年訪れても充実していたが、今年も毎日が凄く充実し、かつ毎日がとても忙しかった。ただ例年では天候が悪く、泳げない年の方が多かったような気もする。それでもここ浜町に来ると、“第二の故郷”のような気持ちになって落ち着くのだ。泳げた、泳げなかったにかかわらず、思い出を書くといくらでも出てくるが、紙面の関係上、ここでは今年のみに絞って紹介していくことにする。

不安な日々

遠泳のスタートを電話連絡するキンちゃん
 8月25日函館到着。“夕方”と言っても、早寝早起きの仕事をしている私的には夜だが、安宅家(船頭さんの家)に挨拶がてら立ち寄ると晩御飯が出された。お腹が空いている私たちはぱくついたよ。安宅さんの奥様は料理がとても上手。いつも私は「これ何ですか?」と聞いている始末で、食べたことがない料理もたくさん出てくる。思いもよらない料理に感動し、話しも明日、青森移動でも良いように「早く泳ぎたい」ことを伝えたが、天候はどうも悪天候ばかりのようだった。
 泳ぐ期間は8月27日から9月1日までだが、その中で8月29日から31日は、「24時間テレビ」の「津軽海峡横断リレー」のサポートに行くことになっていた。つまり泳げるチャンスは8月27、28日、9月1日の3日間しかない。前半の27、28日は悪天候で泳げずじまい。残るチャンスは9月1日しかない。
 ところで私の母親は毎日何回も電話をよこす。この日も朝電話が入るはずなのに掛かってこず、主人に電話すると救急車で母親を病院へ運ぶ途中とか!?「何があったんだろう」とパートさんに電話すると、どうも常用薬の飲み過ぎらしい。たまに飲み過ぎるが、かなりの量を間違えて飲んだみたいで、点滴などをして主人と家に戻ったみたいだが、私の留守中にこんなことがあると心配である。
 いつ船が出るのか分からずの天候待ち。母親が救急車で病院に運ばれたという連絡。加えて台風が来ているという情報もあり、トリプルパンチというか、29日は重い気持ちを引きずりながら青森、小泊への移動となった。
モヤモヤ
 30日の24時間テレビの津軽海峡横断リレーは無事に成功し、翌31日に函館へ戻ると台風は小笠原付近。昼頃から東京を通過するとテレビは言っていた。
 9月1日の朝、安宅さんに連絡すると「今日は船が出ない」と言われ、『またもや泳げなく帰るのか!』の予想が『また今年も泳げないんだなぁ~』の現実に変わり、『予定通り3日に帰るもんだ』と思っていた。何故なら飛行機の予約がしてあるからだ。石井コーチは「台風の足が速いからもう一日帰るのを遅らせるか」と言うが、毎日台風と母親のことで頭が一杯になっていた私は本当に泳げるかどうか分からないし、「台風のうねりが残るのでは?」と、「帰る」の一点張りだった。

海を泳げない日はプールで練習
 宿泊場所の“ムーイ”に戻ってから昼ご飯を食べ、あまり寝ていなかったので休憩していると、安宅さんから「晩御飯を食べにおいで」と電話が入った。重い腰を上げながら安宅さんの家に行く。そこでは安宅さんも安宅さんの奥さんもコーチの意見同様、「天候は回復する。もう一日帰る日を延ばさないか」と言われた。「台風は速度が速く、函館は影響がない」とも言っていたが、まさか安宅さんの方からこんな言葉が出るとは予想もできず、ただまだ半信半疑の私は思わず「私の頭は泳ぐことにまだ切り替えがつかず、考えます。」と言い残し、ムーイへと戻った。

スッキリ
 次の日(2日)の朝9時頃だったか? 安宅さんから再び電話が入り、「船は出られるが、どうする?」と聞かれると、モヤモヤした気持ちが吹っ切れ、「行きます!」と返事をした。それからは計画書や飛行機の変更、海上保安部への連絡など、バタバタ状態であらゆる手続きをクリアにし、12時に浜町の港を出て4時間ぐらいかけて青森の小泊に移動した。途中、南の風で波を見ながら、景色を見ながらの船の移動は快適だったが、着いてからも準備でバタバタ状態は続いていた。
 やっとここまできたが、まだ明日にならなければ天候がどう変化するかわからない。不安を抱えながら眠れずにいると、隣ではコーチのいびきがうるさい。3時港集合だったが、2時でもいい感じだよ。いや「一睡も出来ないならもっと早くてもいい感じかな? “1時スタート”でも構わない」と思ったぐらいだ。どうせ寝むれないんだから。
 しかし予定通り3時港集合。東奥日報の記者から取材を受けたあと、スタート地点の権現崎へ向かった。

スタート

行ってきます!!
 権現崎は東の風であった。船の明かりにイカがよってくるのがわかる。とてもかわいらしい。魚は見えなかったな~。ゴーグルを民宿で洗ったはずだが、まだ曇り止めが残っている感じで安宅さんに「お水ありますか?」と聞いたところ、海水を汲んでくれ、手を入れると温かい。『温泉だ』と思い水温を聞くと“25℃”だった。やはり異常気象である。暗いせいもあり、権現崎が岩場だったせいもあって、船からスタートした。

ライト
 ドーバー以来、一ヶ月ぶりに海を泳ぐ。身体の故障や仕事でプール練習も“スピード練習は入れず”というより、“スピードが出ない”のでロング練習と仕事に追われていた。
 津軽の海は身体が軽く、信じられないぐらい快調に泳いでいた。ちょうど二回目の補給の時、辺りが明るくなったので頭に付いていたフラッシュライトを取り、ロープに付けようとしたら、海水に沈んで行くのが分かり、『落としてたまるか!』と、三回ぐらい拾い損なったが“四度目の正直”拾うことが出来、苦しかった。なんせ私の身体は脂肪か多く浮輪なのだ。これを沈めるのは至難の技であった。まあ、拾えたからラッキー!

ゴーグル
 安宅さんは、「明日は凪だよ」と言った通り、スタートから何時間だろうか? 凪は続いた。昨日船から見た波を思い出しながら泳ぐ。
 急にゴーグルが気になりだした。前からの波や横波のせいか、海水が少しずつ入ってきだし、それが両方入るようになり、何回もゴーグルをかけ直していたら、今度は曇り止めが取れ、ゴーグルをかけても曇って何も見えなくなり、コーチに曇り止めを頼んだが、聞こえているのかいないのか、一向に素振りなし。「曇っちゃって船が見えないよ!」とまた叫ぶと、次の栄養補給の時に交換しようとしたらしく、新しいゴーグルと交換してくれた。
 文句が多い私は「曇り止めって言ったじゃん!」と怒鳴ったが、新しいゴーグルに替えると良く見える。『この違いは何だろう?』と思うぐらいによく見えた。「コーチ、よく見える。かっこよく見える」と冗談を言い始めた。どちらかと言えば、お喋りな私は冗談を言いながら遠泳をするのが好きなのである。
 岡崎のヤマナミさんでゴーグルを買いに行ったところ、私がいつも使うゴーグルが売ってなく、今はプールでの競泳用の小さなゴーグルばかりであった。目が大きな私にとって、小さなゴーグルはストレスが溜まってしまうし、目が入っても開けられない。だから行きに東京(上野)のアメ横に寄り、購入したのである。

荒波

津軽の荒波は半端じゃなかったよ!
 急に風が強くなり、東の風が風速13mまでになり、波高2.5m。前から横から後ろから、もー無茶苦茶な波に襲われた。船は右左に揺れ、操船に難儀している間に私は船の前方を泳ぐことになり、まるで私が船を伴走しているみたいであった。
 呼吸をしたときに船がどちらに向いているか確認しながら、それでも方向を間違えて泳いでいると、安宅さんが手招きで教えてくれたのがとても役にたった。
 確か4時間ぐらいかかった所だったか? 荒波が大好きな私は楽しくて仕方がない。途中ゴーグルが擦れたりして何回も直したよ。でもこの荒波で中止にしたくない。船に上がらせられるといけないので、一生懸命船の前方を泳ぎ、『追い付いてくるな!』という気持ちで泳いCopyright © 2011 by Open Water Sourceでいた。
 船では「中止にするか!」という話しが出ていたらしいが、こんなに楽しい波で泳げるのは津軽しかないから、『お願いだからもっと泳がせて欲しい』という気持ちで一杯だった。どれだけ続いたかは分からないが、急に凪になってしまった。潮が変わったのであろう。この時に時速12km出ていたらしい。
函館山

海上から見た函館山(手前)
 凪になった。さっきまでの荒波が信じられないぐらいである。多分『本流に乗った』と確信しながら泳ぐ。何処を泳いでいるかは全く分からないが、いつもの練習している淡島から大瀬崎を意識しながら泳いだ。
 10時間は“あっ”という間に過ぎたが、頭にインプットしていた函館山は一向に近づかない。心細くなってきた。私の頭に入れてある2005年と2006年の佐井(青森下北半島)から浜町(北海道函館市)まで泳いだコースが10時間泳いで程遠いのである。『後2時間ぐらい泳げば函館山が見えるだろう』と期待したが、全然見えない。一瞬『大きな函館山が見えた』と思ったが、勘違いした。
 全く近づかない函館山。3時間は動かず、段々と東の風が強まり、辺りは暗くなってきた。逆潮に向かい波、船から離れる。どちらに進んだら良いか分からない。
 と、「前方、一番左のイカ釣船(集魚灯で明るい)を目指せ」と指示が出る。だが波でなかなか前が見えない。風で船の声が聞き辛い。「後4時間泳げ」と聞こえた。「コーチ、進んでないよ。こんなに荒れていて、もう無理だよ」と私は諦めていた。ドーバーで29時間泳いだ人間がギブアップしてしまった。恥ずかしい話しであるが、津軽がこんなに大変だとは、甘く見すぎたよ。心を入れ替え出直してきたいと思った。

 船に上がってからは、戸井港まで2時間ぐらいかかっただろうか? 熟睡してしまい、港では北海道新聞の記者、石井さんから取材を受けた。「もう22時を回っていたのに。待っていてくれて有難う」
 「藤田さん、家で早くお風呂入りなさい」の安宅さんの優しい言葉に甘え、お風呂に入り、お母さんの美味しい料理をいただいた。スッゴク美味しかった。
 今年は完泳出来なかったが、今回泳いで感覚が掴め、そしてドーバーよりも面白く楽しい波だと感じた。ここの海はスリルがある。そして人間味がある。
 もうここ戸井には何回足を運んだことだろう。皆さんはとても親切で優しくて、いい人ばかりにめぐり合えた。いろいろとお世話になり、有難うございました。
 権現崎からスタートし、本流に乗るまで5時間、本流に乗って函館山まで5時間、函館山から戸井まで5時間というコース設定をしていたが、そうは問屋が卸さないのが現実で、だからこそ自然が物語ると感じた一日だった。
 ちなみに函館山までは残り4.5マイル(約8.3km)だった。

津軽海峡

3-wayは左から 1st leg 2nd leg 3rd leg と続いている(2006年)
右の細い線は2005年の1-way
函館山の南で線が途切れているものが今年のもの(2009年)

津軽の神様 VS キンちゃん
 この企画を立案したのは2007年だった。2006年のときに3-way(青森:津軽半島小泊⇒北海道:松前半島福島⇒青森:下北半島佐井⇒北海道:亀田半島)を泳いだのがきっかけで、津軽海峡を青森から北海道へという横断にとどまらず、日本海から太平洋へと縦断も含めた壮大な企画だった。総計距離は120km。これをソロ(独泳)で泳ぐ。
 この距離が三桁の数値は以前からキンちゃんに泳がせたかったもので、1993年に私は四国(高知)の足摺岬から室戸岬まで120kmを独泳で成功させたことがある。したがって無理とも思わないし、必ず成功させる自信はあった。
 しかし「嵐を呼ぶ女」のキンちゃんと「災いを呼ぶ男」の私という凸凹コンビが行うのだから津軽の神様はなかなか微笑んでくれなかった。天気が悪いのである。年に2回泳ぎに行って、2回とも天候が悪いといささか腹が立つ。決して日程も「○月△日」というようなピンポイントではない。「●月▲日から■日までの天候の良い日」と、小潮期の5日間くらいで余裕を持たせているが、天候は悪く、なかなか泳がせてもらえなかった。
 いい加減キンちゃんも私も“諦めムード”というか、「今年で泳げなかったらもう津軽は諦めよう」と考えていた。


日テレ「24時間テレビ」、「津軽海峡横断リレー リベンジ!」
 8月24日(月)函館着。泳ぐ期間は27日(木)から9月1日(火)まで。ただ8月29日(土)から31日(月)までは日本テレビ放送網で放映される「24時間テレビ」(30日放送)、「津軽海峡横断リレー リベンジ!」の企画が入っているため使えない。我々としてはこの企画の前に泳ぎ終わっていたかった。しかし27、28日と風が強く、泳ぐことは出来なかった。
 データ上では29日が最も良い日なのだがこの日も風が強く、テレビ局の方も予定していたリハーサルが出来なかったようだ。
 ところが30日当日は絶好の遠泳日和で、まあ語ればいろいろ出てくるのだが、結果的には“奇跡”と言っても良いような大成功だった。
 ただこの日台風11号は午前3時に父島の北東約380kmにあって、北西へ毎時35kmで進行中だった。そして午前6時には八丈島の南東約490kmにあって、翌31日午後3時には房総半島に上陸し、北海道方面へと北上していた。
 つまり31日に東京へ帰るテレビ局の人たちは、バッタリと東京上空付近でこの台風11号と遭遇しているのだ。お疲れ様。
 我々は函館(戸井)に戻ったが、台風11号は急速に速度を上げて北上して来たので、9月1日、すなわち日程最終日のトライは不可能になった。
 「今年もまた泳げずに帰るのか・・・」という暗い気持ちがキンちゃんと私を包んだ。

 しかし思いのほか台風11号は足早に過去って行ったので、翌日は台風一過になると予想が出来た。そこでキンちゃんに聞いた。
石井「滞在日を1日延ばせば泳げる可能性は高いよ」
キン「・・・・・・・・・・」
 どうもキンちゃんは浮かない表情だ。
 今回の船頭さんである安宅さんのお宅に伺って意見を求めた。
安宅「ああ、2日の天気なら大丈夫だよ」
 この言葉でキンちゃんのご機嫌が直った。

ご機嫌回復! 第61栄幸丸で小泊に向かう
 速攻で今日(1日)の午前中、海上保安部など関係各所に連絡を取り、帰りの飛行機の予約変更、延泊手続きなどを手早く行い、午後に第61栄幸丸(4.9㌧)はスタート地点である小泊へ向かって戸井港を出港したのである。
 小泊港に面した民宿「柴崎」に到着するや否やキンちゃんは栄養補給品作りに専念し、外では安宅さんご兄弟が「遠泳中」の横断幕を第61栄幸丸に張るなどの準備が進められていた。否が応でも緊張というか、何とも言えない雰囲気になり、身震いがする。明日は津軽の神様が微笑んでくださいますように!

壁になった波が攻めてくる

左からキンちゃん 安宅さん(弟) 安宅さん(兄)
 9月2日午前3時44分、小泊半島の先端にある権現崎沖合100m。キンちゃんは私手作りのチャネルグリース(ラノリン〔羊毛から抽出される脂〕80~90%+ワセリン〔石油から精製される脂〕20~10%)をタップリと塗り込んだ身体を真っ暗な空と海の中に沈め、120km離れた戸井を目指して泳ぎ始めた。
 スタート後、第61栄幸丸は北西に舵を取る。それはあたかもゴール地点の戸井とは遠ざかる進路なのだが、慎重な安宅さんは津軽海峡西口(竜飛崎~白神岬)中央を通過したかったのだ。まるで日本テレビの「津軽海峡横断リレー リベンジ!」のサンプルになるような福島に向かうコースである。
 ちなみに日テレのコースは我々先導船が北西に進路を取ったとき、本部船の番組ディレクターから「もっと北に進路を取るように」と指示された。先導船は船頭さんを含め私も猛反対したが、「責任は私が取りますので」というディレクターには逆らえず、「雇われた身だから指示には従うが、これじゃ“先導”の意味がないな」と、船頭さんは文句を言いつつ渋々北に進路を取った。
 結果かなり竜飛崎に寄り過ぎ、そのコース取りの誤りに痺れを切らした私は先導船に乗っているADの無線機を借りて、「これじゃ函館に着くかもしれないが、福島には着かないよ」とディレクターに言った。GPSから予定コースより大幅に流されていることを気付かせたのだ。慌てたディレクターは「もっと西に進路を取ってください!」と。船頭さんには「よく言ってくれた」と感謝されつつも、「今頃遅いんだよ!」とご立腹。「これからコース修正をしますので、速い連中を泳がせてください」と私。
 こういうときにオリンピック競泳メダリストたちがいるのが羨ましい。徐々にコースは修正され、それから一切ディレクターは我々のコース取りに口を挟むことは無くなった。
 そんなことを思い出しつつも、『もう少し竜飛に近いコースでも良いのでは・・・』などと私は考えてしまうのだが、安宅さん兄弟はあくまでも慎重なのだ。そして地元漁師のコース取りに楯突くようなことを私はしない。

 日はとっくに昇った6時頃、第61栄幸丸はようやく北に向けて進路を取った。するとGPSが戸井に向かい始めたことを知らせるように「到着時刻」を表示し始めた。が、まだまだそんなものは当てにならない。
 それから少しずつ第61栄幸丸は北東方向へ進路を取りつつ、9時30分頃津軽海峡西口を、コース上は予定通りに中央部で通過。遠くに東口(大間崎~汐首岬)がうっすら見える。その向こうまで行くのだ。

山背は東北地方から北海道にかけて太平洋側で吹き荒れる
 ただ「予定通り」と言えないのは進み具合だ。水温21℃、風も無く波も無い。絶好の遠泳日和と言いたいが、肝心要の潮(海流)までほとんど無い。本来ならば午前8時前に西口を通過していなければならないのに、進み具合は予定より1時間以上遅れている。
 第61栄幸丸が矢越(北東)に向けて進路を取った10時頃、『おや、北東風が吹き始めたなぁ~』と思ったら、海がいきなり暴れ始めた。風は山背となり、潮は今までの遅れを吐き出すように速く流れ始めた。潮と風がぶつかり合い、鬩ぎ合っているのだ。
 仮に波と風が同一方向へ進む場合は波頭が丸くなる。しかし波と風が逆方向へ進む場合は波頭が尖って三角波になるのだ。「三角波」と言うと皆さん形は「正三角形」とか三角定規の「二等辺三角形」を想像すると思うが、ここの三角形はそんなものではない。第61栄幸丸から見たその波はまるで水の壁だ。眼前に立ち上がる高さ2mの水壁を、“グワーン”、“グワーン”と次から次へ粉砕しながら進む。その度に大揺れに揺れ、まるでジェットコースター状態。
 このときに『面白いなぁ~』と思った光景は、数十羽のウミツバメ(海鳥)が「海に浮いている」と言うよりも、「壁にくっついている」状態なのだ。まあ船が近付けばいっせいに飛び跳ねて逃げるのだが、次の水壁がやって来ると、その壁にウミツバメがくっついている。落ちないのが不思議なくらいに・・・。こんな光景を見たのは生まれて初めてだ。
 こんな状態でキンちゃんを第61栄幸丸の横に付けるのは困難なのと危険なため、キンちゃんは船の前を泳がせることにした。こんなときにキンちゃんは強い。状況の判断力に優れているのだと思うが、「私に着いていらっしゃい!」とでも言いたげに波高2mの壁に突っ込んで行く。まあ「突っ込んで行く」というよりも、壁に昇って行くときはキンちゃんの後姿が立ち上がって見え、壁の向こうに落ちるときは何も見えなくなると表現したほうが正しい。
 まあラフウォータースイムを得意とするキンちゃんだから私に心配は無いのだが、慎重な安宅さんは相談してきた。「いつやめようか」と。
石井「いや、まだ大丈夫です!」
 このときGPSを見て驚いた。何とスピードが時速12km。「ヒェ~~~、ランニングの速さだ!!」

 しばらく続いたこの暴れ海も11時頃には通り過ぎ、いきなり海は静かで穏やかになった。海が穏やかになって潮が時速12kmで押してくれれば申し分ないのだが、そうは問屋が卸してくれない。潮は弱くなり、しかも南に向きを変え始めた。第61栄幸丸はこの南向きの潮に逆らうかのようにやや北寄りに進路を取った。

キンちゃんとムーイの支配人、中村さん
 それでも正午頃までは順調だと言って良いだろう。知内にある発電所の煙突がみるみる見えるようになった。函館山は沖合から見ると鯨の形に似ているが、それもハッキリ視認出来る。
 午後2時頃、いつもお世話になっている宿泊施設「トーパスヴィレッジ・ムーイ(函館市戸井ウォーターパークオートキャンプ場)」の支配人、中村さんから電話が入った。
中村「何時頃戸井に着きますか?」
石井「そうですね、GPSによりますと後8時間。午後10時頃に到着予定です」
中村「わかりました。戸井町の放送で町民に迎えに出るよう放送しますので」
『ウ~~~ン・・・、GPS通りに行くかな???』

 午後4時頃から潮はほとんど動かなくなり、北東風が山背になって吹き始めた。この山背が波を呼び、第61栄幸丸はキンちゃんの側で伴走することが困難になってきた。安宅さん兄弟と協議し、到着地点を戸井から函館山に変更した。ところがこれもドーバー同様スイマーは蚊帳の外。キンちゃんは何も知らずに「景色が変わらん!」と文句を言っている。
 安宅(兄)さんが第61栄幸丸の船首に陣取り、舷から身を乗り出して大きく腕を振り、キンちゃんの進路を誘導する。しかしこれも明るいうちは良いのだが、暗くなると見えない。そこで安宅(兄)さんはライトで合図を送るのだが、あとでキンちゃんに聞くと「あれは応援のためのライトだと思っていた」とのこと。
 一般に船はスロー(エンジンをアイドリング状態でクラッチをつなぐ)でもスイマーのキンちゃんよりスピードは速い。したがってエンジンをアイドリング状態にしてクラッチをつないだり切ったりしてスピードをスイマーに合わせる。無風のときはこれで問題ないが、山背のような強風が吹いている中で、しかも風向きとは異なる方向へ進路を取りながらの操船は困難を極める。

終了後の宴会(右は安宅さんの娘さん)
 つまりアイドリングでもクラッチをつないでいれば船は舵が取れる。しかしクラッチを切った途端に船は一番風の抵抗が受けやすい方向に向きを変える。だから船は“アイドリングでコース修正をして”と“風で向きを変えられて”を繰り返すので、ジグザグ進む蛇行走行となる。ちなみに水に浮いている小型船舶と、そのほとんどが水に没しているスイマーと比べると、風の影響は断然小型船舶に軍配が上がる。
 夜になって山背は更に強さを増して吹き付けてくる。第61栄幸丸とキンちゃんとの距離が更に広がる。キンちゃんを誘導させるための有効な対策を練り始めた。それが「いさり火誘導」である。津軽海峡には夜になるといくつものイカ釣船がでる。そのイカ釣船にはどれも「集魚灯」と呼ばれるものすごく明るい電気を灯してイカを釣るのだ。その明るさは空まで届くように明るい。だから水面からでも見えると思ったのだが、いくつもある集魚灯の「最も左の明かりを目指せ!」と指示出しをした。しかし風波の中で泳いでいるキンちゃんにとって、その物標である明かりはやはり波間で見えたり見えなかったり・・・。
 メガホンを使って指示をするが、耳栓をしているキンちゃんには波の音、風の音が邪魔してうまく聞こえない。更に追い討ちをかけるように「進んでいない」という気持ちがキンちゃんの「継続させよう」という気持ちを奪っていく。万事休すである。GPSでは実際に進んでいないわけではない。だが“時速10km以上”の最大スピードに比べれば、現在の“時速1km”という10分の1以下のスピードは、誰しもが「進んでいない」と感ずることだろう。
 キンちゃんは泳ぎを止めては方向を確認し、泳いでは再び止まって確認しを繰り返した。そのうち「もう泳げん!」が始まった。ドーバーと一緒である。どこかで気力の糸がプツリと切れてしまったのだ。
 夜⇒見えない。風⇒進まない。波⇒聞こえない。マイナスな要因はいくらでもある。しかしこれが海なのだ。何が起こるかわからない。しかしそこに醍醐味や面白さがある。当然苦しさや辛さもあるのだ。それを乗り越えたとき、真の感動が味わえる。今回は次回にその感動を味わうための序章としておこう。
< 津 軽 泳 の 詳 細 >
日付:2009年 9月 2日(火)
場所:津軽海峡<青森⇒北海道+日本海⇒太平洋>(距離120km)
泳者:藤田美幸(キンちゃん)
方法:1-way solo swim(縦横断泳)
出発:小泊半島権現崎(青森)
到着:函館市戸井(北海道)
結果:03:44⇒20:29 16時間45分 リタイヤ
概況:天気 晴れ時々曇り
   視界 10海里(20km)
   風向 主に東
   風速 1.3~12.0m/sec
   気温 18.6~23.9℃
   水温 20.5~23.0℃
   波高 0.5~2.0m
   ピッチ 59~67回/分
   補給 炭水化物+果糖+茶類=300ml/40分毎
   流向 北東および東北東方向(海流)
   流速 0.0~4.0kn(0.0~7.4km/h)
潮汐:函館(北緯 41度47.0分 東経140度44.0分)
   日出 05:03       日入 18:09
   月出 16:53       月入 02:19
   月齢 12.7        潮名 中潮
   満潮 01:29 0.92m    干潮 08:35 0.29m
   満潮 15:21 0.85m    干潮 20:31 0.56m
船名:第61栄幸丸(4.9㌧)
船頭:安宅 勉
船頭:安宅善春
監督:石井晴幸

※ 津軽海峡の主な流れの成分は「海流」であって、日本海から太平洋に向かって流れている。この海流に対し、「山背」などの主な風は東風が多く、特に竜飛(青森県津軽半島最北端)は“風の名所”として有名で、風力発電の風車がいくつも見られる。
※ 今回は竜飛の風速が10m/sec以下で実施した。津軽海峡内の風が竜飛の風以下だと想像できたからだ。ただ風向きが西ならもっと良かった。Copyright © 2010 by World Open Water Swimming Association

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